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Ogni giorno sara` sereno!

Ogni giorno sara` sereno!

なぜイタリア留学?

私のイタリア好きは、高校あたりから始まった。
元々歴史が大好きだった私に、大学受験を終えた時に担任の世界史の先生が薦めてくれた塩野七生さんの本(ありがちですが)がそれを決定的にした。
当時あったほぼ全ての本をあっという間に読破し、大学の専攻もいろいろ迷った(大学の専攻になると細かいところを奥深くやるので、
私のように歴史を物語的にとらえて魅力を感じる人間には合わない、と先生は言っていた)が、結局西洋史を選択した。
が、やっぱり先生の言っていた通りで、しかもイタリアに関する授業は古代ローマ史のみ、第二外国語にもイタリア語はなし。
ゆえに、私は勉強よりも競技スキーのクラブ活動とバイトに没頭する4年間を過ごす。

初めてのイタリア上陸は、大学4年の卒業旅行。
フランス好きの友達とパリ4日・ローマ3日・フィレンツェ3日。
街は魅力的だが人が感じ悪かったフランスの後、ローマへ。隣の国とはいえ、まるで世界が違う、人がおもしろい。とにかく、楽しく刺激的だった。

その後、就職し、残業と休日出勤で仕事以外の記憶がない約2年間を過ごす。少し時間が持てるようになった頃、
仕事以外に何かしたいと思って選んだのがイタリア語。
当時はイタリア語の参考書といえば古めかしい数冊しかなく、学校も大阪では片手で数えられる程。
とりあえず、という事でNHKのイタリア語講座を見始めた。
ジローラモさんのおかげで何とかやっていけそうな気がし、大阪のこじんまりとした学校マデパに通い始める。

ここに約4年間。
でも、仕事帰りに週1回1時間では趣味の粋を超えることはない。その間もう1回イタリア旅行(ヴェネツィア・ナポリ・ローマ)をし、
ナポリでタクシーに160キロで走られたり、ローマでストにあい夜ホテルまで徒歩でかえるハメになりながらも、
更にイタリアへの興味がわく。それなりに、言葉も通じた。そして転職。
しかし、ここも私の思う環境でなく退職を決意。
その後は?頭にはイタリア留学があった。

歴史から始まったイタリアへの興味が、2回の旅行を経て、更に人や生活への興味を強く持つようになった。
これは、1週間やそこらの旅行では感じられない。また、約6年間の社会人生活を送り、日本社会への疑問があった。
特に仕事環境、女性の立場。と書くと堅苦しいが、仕事に追われた生活、それを当たり前もしくは仕方ないと思っている人々、
1社目で経験した男女差別、また30に近づいてくると会社も親も、これは後で気付いたが自分自身も結婚の2文字が頭にちらつく。
人生ってそんなもんかなぁ、外国もそんなんかなぁ、と単純に疑問を持っていた。

一度決めると行動の早い私は、地球の歩き方のイタリア留学を読み、目をつけた学校につたないイタリア語でメールを送り、大阪の学校にも相談した。
そして、母に報告。
母は、もう私の性格を知っているので、“よう分からんけど、アンタの人生やし好きにしぃ”と言ってくれた。
父には、母から言ってもらった。すると、(想像通り)“お前何考えてんねん、エエ年して、アホちゃうか?”
続いて“しかもイタリアなんかアホみたいな国”やと。とは言っても、父も私の性格を知っているし、私も父の性格は熟知している。
いつもの決め言葉“私の人生後悔したくないねん。お父さん責任とってくれんの?”そして着々と準備を進めていった。

友達の反応は大方“すごーい!”の一言。そして、高校からの友達は、留学経験済&願望ありが多かった
(私を含め、最終的に全員海外留学や仕事での派遣を経験している。国も、アメリカ、中国、タイ、イギリスと幅広い)ので、
“頑張っといでや~!”とエールを送ってくれた。
当時、NYに留学していた新ちゃんのコメントは、“アメリカなんか世界の中心ヅラしてアホばっかりやで。日本がいかにエエ国か見直すで”。
この言葉、想像はしていたものの、イタリアに着いた瞬間に実感する事となる。

2004.5


→ 街選び、学校選び


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